コラム

たった2人でスタートしたアールズ・ギア

2021.05.30


STORY5

工場を立ち上げ、たった2人でスタートしたアールズ・ギア。設立当初は、引き続きノジマエンジニアリングの下請けとして手曲げマフラーの製作も行っていた。

設立してから約半年後、記念すべき最初のオリジナルマフラーが完成した。手曲げのチタン製エキパイを採用するワイバンシリーズのヤマハ・XJR1200用とホンダ・CB1300SF用だ。当初から樋渡には大型バイク用のマフラーしか頭になかったので、当時、人気だったこの2台をターゲットにしたという。

余談だが、小排気量車はカスタムなんかするの? と当時の樋渡は思っていたそうだが、いまやホンダ・レブル(250)用マフラーが大ヒット商品になっているのだから分からないものである……。

↑設立当初からマフラーの作り方はまったく変わらない。集合部はよりスムーズな排気を実現するために、鋳物ではなく溶接で組み上げ、さらに整流効果をアップするためにピラミッドトライアングル構造とし、上の写真のように車種によっては集合部にセパレーターを内蔵するなど、非常に手間のかかるつくりとなっている

その第1号マフラーから今に至るまで、アールズ・ギアのマフラーの製作手法はなにひとつ変わっていない。特に集合部分のつくりには徹底してこだわって、4in1集合でもパイプをカットして内部をピラミッド構造に仕上げたパーツを溶接で組み上げている。また、美しさにもこだわったチタンパイプは専門業者に依頼してこちらも徹底的に磨き込んでいる。乗りやすく、扱いやすいパワー特性と美しい外観。アールズ・ギアのマフラーは、この2つを常に意識して作られているのだ。                                                                           

とはいえ、設立当初は、それなりの苦労もあった。まず、工場にシャシーダイナモがないため、樋渡が自走してある程度の性能が出たと感じたら、浜松にある元スズキの樋渡担当のメカニックが経営するバイクショップまでパワーチェックに行っていたという。                                                         

現在の充実した設備を誇るアールズ・ギアからは想像できない話だが、スタート当初はどの会社もそんなものかもしれない。                                                             

店頭の在庫の山に代理店から猛烈なクレームが

↑アールズ・ギアの記念すべきマフラー第1号は、当時の人気ナンバー1ネイキッドのホンダ・CB1300SF用。美しい焼け色の入ったエキゾーストパイプが印象的だ

↑ヤマハ・XJR1200用もCB1300F用と同時デビュー。しかし、この2機種は発売当初、まったく売れず、バイク用品店の店頭に在庫が山積みになったという

そしてもうひとつ。誰も知らないブランドということで、アールズ・ギアのマフラーはまったく売れなかった。現在もお世話になっている代理店が販売店に積極的に商品を卸してくれるのだが、ユーザーは見向きもしない。それに加えて、スタッフがまだ慣れていないこともあって営業もうまく機能していなかったから、店頭にはアールズ・ギアのマフラーの在庫が山積みに……。代理店からもクレームの電話が止まなかったという。                                                         

その状況に耐えかねた樋渡は、自ら営業活動を行うことにして、代理店に赴いてまったく根拠もないのに1年で在庫を一掃すると宣言してしまった。                                                   

それまでまったく営業の経験がないのに加え、根拠のない強気の発言をしてしまった樋渡だったが、そこからバイク雑誌に積極的に声を掛けて取材をしてもらい、商品紹介の記事を掲載されるようになると、徐々に知名度が向上。                                                                                    性能には絶対の自信があったのに加え、元ワークスライダーがつくるマフラーということも大きなセールスポイントになり、宣言通り、店頭の在庫は見事に1年で解消することになる。                                                 

また、樋渡自身が営業で取引先を回るようになったことで、マーケットの動向などの情報も手に入れることができ、その情報をフィードバックしたマフラーつくりができるようにもなったという。

まさに、「災い転じて福となる」であったのだ。                                                                  

(STORY6に続く)