コラム

旧友の依頼でマフラーの手曲げを再開

2021.05.26

<STORY4>
94年にレースを引退した樋渡が次に行ったのが、スキーのレースへの挑戦だった。

90年代のスキーブームで、ゲレンデスキーを楽しんだことがあったが、速さを競うようなスキーのレースの経験は当然、まったくなかった樋渡。36歳~46歳までのクラスで国体に出場するため、三重県の予選に出場し始め、そこでも持ち前の負けん気と生来のスピードへの適応能力をいかんなく発揮して何度も優勝するなどの結果を残したのだった。

スキーのレースに挑戦しているころ、再び樋渡はマフラーつくりにかかわることになる。元モリワキのメカニックでノジマエンジニアリングを経営していた旧知の野島から、展示用の手曲げマフラーを作って欲しいという依頼が舞い込んだのだ。

当時、機械曲げのマフラーしか販売していなかったノジマエンジニアリングはラインナップを増やそうとしていて、手曲げの技術を持つ樋渡を頼ったのだが、その展示用マフラーが大好評で本格的に市販品を展開することになり、樋渡はスキーに参戦しながらノジマエンジニアリングで手曲げマフラーの製作に携わることになった。

ノジマエンジニアリングで仕事をするようになってから、樋渡の中で徐々に自分のブランドで、自分が理想とするマフラーを作りたいという気持ちが芽生え始めてきた。

当時の市販マフラーは、乗りやすさよりもピークパワー優先のものがほとんどで、レーシングライダーとして乗りやすく扱いやすいバイクが圧倒的に速いことを知り尽くしていた樋渡は、街乗り用マフラーでも低速からトルクがあって乗りやすいほうがいいはずだと思い、そういうマフラーを自分で作ることを決め、1988年に独立。同時に、スキーのレースへの挑戦も止め、マフラーつくりに専念することにした。

アールズ・ギアという社名に込められた意味

↑美しい曲線を描くマフラーはアールの集合体。アールズ・ギアの社名の由来である

マフラーメーカーになるにあたり、樋渡にはひとつのこだわりがあった。

なぜか、マフラーメーカーは社名にオーナーの名前を冠する例が多いが、樋渡はそうはしたくなかった。会社の名前を聞いて、そこが作っているものを想起させる名前にしたかった。そこで選んだのがアールズ・ギアだった。

マフラーはアール(曲線)の集合体であり、ギアは英語で部品の意味。いかにもマフラーメーカーらしい名前であり、さらにRはレーシングスピリッツもイメージさせてくれる。

また、アールズ・ギアのトレードマークであり、製品にもイラストが必ず入っている飛竜のマークも会社設立に当たって樋渡が考えついたもの。

会社のキャラクターになるものが欲しいと思い、いろいろ調べているうちにイギリスの紋章によく使われていた飛竜のマークに行き当たった。それをアレンジしたのが現在のアールズ・ギアのトレードマークであり、同時にマフラーの主力商品にも飛竜の英語であるワイバンという名称が付けられたのである。

(STORY5に続く)