コラム

乗りものに乗ったら誰にも負けたくなかった

2021.05.18


<STORY1>

その温和な物腰や話し方からは想像がつかないかもしれないが、アールズ・ギア代表の樋渡治は幼いころから、とにかく乗りものに乗ったら誰にも負けたくなかった。それが自転車であろうと、人より速く走ることだけを考え、実際いつもそうしてきた。

16歳になりバイクの免許を取得して、当時、発売されたばかりのカワサキ・Z2に乗り始めたときも、先にバイクに乗り始めていた友人に走りでは絶対に負けなかったし、負けたくなかった。

友人たちはそんな樋渡にレースをするように勧めた。ちょうど、現在のスポーツランドSUGOが樋渡の故郷である宮城県にできたばかりで、ロードレースに少し興味があった樋渡は、ノービスライダーとしてTZ250でロードレースの地方選手権に出場するようになった。

参戦した年、樋渡は生来の負けず嫌いさと、レーシングライダーとしての非凡な才能を発揮。1回転倒し、1回2位になった以外は出場したレースですべて優勝。翌年はジュニアに昇格してランキング4位となり、国内レースの最上位クラスの国際A級への昇格を決めた。

友人たちの勧めでレースの本場である鈴鹿に

当時、電気工事士として電柱に上って高圧電線の保守点検作業をするというちょっと危険だが、それが逆に面白く感じる仕事が非常に気に入っていたこともあって、樋渡自身は国際A級に昇格してプロライダーになることに消極的だったが、またしても友人たちが鈴鹿サーキットのある三重県の鈴鹿市に移り住んでプロライダーになることを強く勧め、カンパで引っ越し代まで集めてくれた。

友人たちにそこまでされた樋渡は、じゃあ2年間だけやってみようと決意し、鈴鹿に引っ越し。生活費とレース費用を稼ぐためにマフラーメーカーのモリワキエンジニアリングの下請け工場でアルバイトをすることになり、そこで樋渡は生まれて初めてマフラー製作に携わることになる。

いまや国内有数のマフラーメーカーとなったアールズ・ギアの原点は樋渡が自ら望んだというよりも、友人たちの後押しが生んだものだったのだ。